ウルトラマーケット閉館について

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ウルトラマーケット概要

記者会見
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公開質問状

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「ウルトラマーケット閉館について」記者会見


司会:演劇集団よろずやの寺田さん。

寺田:
はい。僕の場合、うちの劇団の場合は、あの最初から倉庫としてお借りしてたんですけれども、なかなか劇団の体力と、僕自身の体力がない状態で、ようやく去年、初めて劇場としてお借りすることができましてた。これから、ここでずっとやっていけるような劇団になろうよという風にやってきたんです。今回こういう話になりまして、扇町ミュージアムスクエアのときも、そうなんですけども、表現者同士が出会ったり、お互い高めあうという拠点は、扇町ミュージアムスクエアがなくなったあとは、ウルトラマーケットにあるという風に思ってまして、末端で参加させて頂いてたんです。
今回のことを聞きまして、人がいるから、その場所があるから、出会ったりとか、これからの可能性っていうのが出てくると思うんで、なくなるということに対して、本当にこれから一緒にやっていこうと思ってた人を失うということを、どうしても考えてしまうので、劇団と自分の寿命が続く限りは、芝居をやっていこうと。ウルトラマーケットがあって、やっていたんだいうこと、ずっと言い続けたいなと思っております。


司会:デス電所の竹内佑さん。

竹内:
はい。デス電所の旗揚げ6年目の頃、ウルトラマーケット立ち上げのころにお話を頂いて、そんな6年目の若輩者が、そんな素晴らしい事業に参加しても、本当にいいのかという思いのまま、一生懸命自分らなりにやってきたんです。さっきから、いろんな方もおっしゃってるんですけれども、扇町ミュージアムスクエアという劇場があって、そこで人と出会う、人と人が出会っていくということの素晴らしさというか、心と心を通わせていくというのは、劇場のひとつの特権だと僕は思ってるんです。そういう場所がまた新しくできて、そこに自分たちも内部として関わって、これをどんどん人たち、後輩とか、お客さんであるとか、いろんな人たちに、混ざっていってもらうっていう、そういう意味合いを持って臨んでいたんです。
デス電所は、あの、「よろしくどうぞ」っていう大きな幕を芝居のオープニングに出すというのがあります。れを初めて作ったのもウルトラマーケットですし、大きな場所で、大きな幕を作るっていうことが、願いが叶った瞬間、・非常に思い入れが深いんです。
うちは、唯一、ウルトラマーケットで公演をしたことがなくってですね、別に、避けてたわけではなくてですね、やるなら大きいやつをやろうと考えてたんですね。100人ぐらい出るようなやつがやりたいっていう夢があって、そういうのをウルトラマーケットでやるという思いで、やってきてるんです。それも、自分たちがグダグダしてるうちに、パッと足元が消えてしまったような感じで、非常にビックリしておるんです。さっき寺田さんもおっしゃってたけれども、ウルトラマーケットを、大阪城公園を、夜、自転車で稽古の行きとか帰りとか通ってると、時々、ウルトラマーケットの方をチラッと自転車に乗りながら見ると、明かりが灯っていたり、中の水銀灯がもれてて、誰かが(大道具を)たたいてるんだなとか、どっか稽古してるんだとか、そういうのを発見すると非常に嬉しくなって、おうちに帰れたりとかしたんです。そういうことに、よろこびを見つけるような人たちが芝居をやるんだと思っているんです。そういうことに喜びを感じない人たちが、たぶん、そういう場所を奪っていくんだろうなぁと。じゃあ奪う側にはならなくていいやと思う次第でございます。きっと、なにか、なぜ、なくなるのか、なぜそういう契約を、退去通告をだしてくるのかということを、言えないということは、きっとなにか、お金が儲かることを企んでるんだろうと、それ以外は、まぁ、思いつかないわけですから。

内藤:それはどうか知らないけど(苦笑)

竹内:
もしくは、なんか、化学兵器を作るとか。まぁ、どっちかだろうなと思ってるんで、えぇ、今後もどうなるものかと、横目で見て行きたいと思います。

司会: デス電所、福田さん。

福田:
お客さんなり、来られた方は、ご存知と思いますけれども、ウルトラマーケットは、空間としてはすごくタッパもあって、魅力的だったりするんですけども、まだまだ劇場としては、空調がなかったり、トイレも、大阪城公園のトイレを使わなきゃいけないのです。南河内万歳一座さんをはじめ、みなさん、いろんな劇団たちが仕込みになったら協力して、カイロを配ったりとか、役者さんたちが、他の劇場ではしなくてもいいことをしたりとかしてですね、作り上げてきたという、すごく長い、これからこの劇場をどんどん整えていく夢を見つつやってきて、公開質問状に書いているように、隔壁ができました。新しい扉ができたときには、非常にワクワクして、この先どんどん劇場として夢を持ってやっていけるなぁと思いながらも、そういう大変なことも結構積み上げてきたんですね。例えばトイレもちょっとしたことですけど、お客さんが気持ちよく使えるように、劇団員は公演の前とか後に掃除をするわけですね。管理が公園と一緒ならば、その公園の便所なんやから、公園局の人が掃除してくれたらいいやんということも言わずに、みなさんが協力して、積み上げて、劇場として、どんどんと育てていこうよとしてやってきた、そういう積み上げてきたものがあるということを分かって頂きたいし、それが、こういう形で一方的におじゃんになるとすれば、非常に残念としか言いようがないと思います。



司会:劇団いちびり一家の阪上さん。

阪上:
はい、僕たちは2007年から、倉庫をお借りしていました。ここに集まっている方たち、誰よりも何も分からず、倉庫借りれるってことが、とにかく嬉しくて、2007年に公演もさせて頂いて、劇団の中がちょっとごちゃごちゃしたので、その後ウルトラマーケットで公演はできなかったんです。
ウルトラマーケットには、春の乱・秋の乱という演劇祭があり、関わっていない人間、関西小劇場で芝居をしてても、ちょっと敷居の高いようなイメージがあって、で、自分たちがやりたいと思ったときも、スタッフ面とかのことをすごく奈良さんとかからも聞かれて、それはやっぱり難しいんやろうなと思いながらも、できるならやってみようと思って、始めていったようなところだったんです。今になってそれがはっきり分かるのが、それだけちゃんと準備をしないと、できない状態でもあったし、でもそれを受け入れてくれる場所だったし、だから演劇祭運営側は、ちゃんと筋通してはったんやろなと自分は思います。自分は、演劇活動しながら、非常勤講師で、宝塚北高校とか講師をしていますが、生徒に向かって、今、演劇がどうなっているのかってことを、うまく喋れないこととかもあり、諦めることはそんなに苦手ではないので、できるんですが、馬鹿にされた感じだけが残ります。弱小劇団とか馬鹿にされて、そういうことじゃなく、なんか、演劇をあぁいう大きいホールが馬鹿にしてきたっていう態度が、許せないと思います。

司会:それでは、大阪現代舞台芸術協会の岩崎さんの方から、

岩崎氏:
岩崎です。先ほど、一度、お話させて頂きましたが、大阪城ホール西倉庫を初めて見せて頂いたのは、おそらく2002年と思います。その時、DIVEの理事である私、それから深津さんと、それから京都の鈴江さんとに言いましたけど、当時、「大阪のど真ん中に小劇場を取り戻す会」という、これ、劇の宇宙という大阪市が出していたものの表紙です。さきほど申し上げたメンバープラス、京都の土田さん、それから松田さん、それから内藤さんも、この会に参加していらっしゃいました。で、取り戻す会といっても、直接、場所をどこかっていうようなこともやりました。その中の一環で確か、松原さんにもお声をかけて頂いたという風に記憶しております。で、このナンバー12号の巻頭のところで、取り戻す会が喋っているんですけど、内藤さんは当時から、組織だってできることと、やっぱり独力だからできることがあるとおっしゃってて、我々DIVEの代表として見に行く、京都の代表鈴江さんと見に行ったときに、実は、現在のウルトラマーケットのような形になるという想像力は及びませんでした。私たちは。で、資金的にも、連合加盟体ですから、どこからひっぱってくるのかという、手立てが非常に複雑になるだろうという予想で、おそらく、直後に松原さんには「すいません、僕たちは無理です」という風に申し上げたという風に記憶しております。
で、その後、内藤さんが、その公言されていたように、まず、ここを立ち上げるという意思を持つ主体になられて、そして、その時の我々理事の想像力の及ばなかった部分を、劇場化して、実際に舞台も拝見し、なるほど、こういう方法があったのかということを納得するに至る、経緯がございました。それを、私は、最初に見せて頂いたもののひとりとして、やはりその内藤さんと、それを中心に集まられたみなさんの、このウルトラマーケットという連続的に公演がうたれ、倉庫として使用されているところを、非常に敬意を払って、見させていただいて参りました。
今回この閉館ということの記者発表ですけれども、さっき、樋口さんも言われましたけれども、2002年以降、何回、我々表現者は、こういう思いをしているんだろう、と思うんですね。もう、5回や6回じゃないように思うんです。毎回、やはり、行政サイドとの会議があれば、埒があかないことを経験し、それでも、なんとか存続をさせようということで我々は、表現を繰り返して、現在に至っているわけです。本当にいい話聞かないんで、今日、この記者発表を機にですね、閉館となってますけれども、さっきから話聞いてると、非常にB級の大阪のドラマを見ているようなつっぱね方がなされたということで、我々演劇人にそういう陳腐なシナリオを見せるというセンスがもう間違ってるんだという風に、本当に思います。もうちょっとマシなシナリオを書いて、交渉のテーブルについて欲しいようなことを強く思いました。きっと、今日これが、報道されたり、いろんなところで、みなさんが情報を、いろんな人に伝達していく段階で、いいシナリオであれば、おそらく、大阪城ホール側は、もう1回テーブルにつきましょうという、昨今ない宝くじの一等賞を引き当てたような結末が待っているのではなかろうかと、私は期待したいし、また、それに対してできることがあれば、DIVEも今現在、三十何団体、加盟団体がありますから、特にそのウルトラマーケットに関わっていらっしゃるみなさまと連携してですね、できることを推し進めていけたらなぁという思いを今日は強く持ちました。