ウルトラマーケット閉館について

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公開質問状

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「ウルトラマーケット閉館について」記者会見


内藤:
そこで、とりあえずここでバトンタッチしまして、当初、ウルトラマーケットの演劇活用及び有効利用していこうという事業を呼びかけるのに関わった、演劇プロデューサーの松原氏の方から、当時の経緯について、説明して頂きたいと思います。

松原氏:
元近鉄劇場プロデューサー松原です。今日は、個人として参ったんですけども、初めに西倉庫を発見したのは、ご存知のように扇町ミュージアムスクエアも、2002年に閉鎖するという話が持ち上がりまして、びっくりした訳です。そうこうしている内に、私がやっておりました近鉄劇場も、閉鎖すると。次々に、2002年は小劇場が閉鎖になるということが、企業から発表されまして、関西の演劇状況はどうなるのかと。大阪だけじゃなくて東京からも(演劇公演が)相当来ていましたので、全国的にも、大阪の演劇状況はどうなるんだと、すごく心配をされた時代でありました。
メインの扇町ミュージアムスクエア、近鉄、両方と関わってきましたので、閉鎖になり、20年余りの時間の中で、東京と大阪が相当と繋がって活性化し、多くの明日の演劇人が、東京に行き、全国区になっていったという歴史もあったんで、大阪の、そういう演劇環境が崩壊していくのは困ったなと思いました。
で、大阪市側にも、何とか、劇場出来ませんかと話したり、それだけではなく、新しく劇場を作るには、お金も時間もかかってしまうので、すでにある空間とか劇場とか、案外使われてないけど、少し工夫すれば、劇場になるんじゃないかというところを、とにかく探そうと、色んなとこを見て回ったんです。
その中で、大阪城ホールの中に城見ホールを見に行った時に、㈶大阪城ホールの方から、「いや実は倉庫がいくつかあるんだ」と。「使われてない、空いているところがいくつかある」とのことでした。その中の1つに西倉庫(ウルトラマーケット)がありました。最初に案内された時はびっくりしました。僕らは、迷路みたいなところから案内されて、真っ暗な中で灯りをつけて貰って、水銀灯だったんで、なかなか明るくならなかったんですけど、明るくなっていったら、本当にびっくりする。2000㎡という空間がガアーッと広がってですね、もちろんタッパも高い。あのぐらいの(小劇場)空間ができる。特にびっくりしたのが、2列ぐらいの柱が取ってある。で、「これ、柱を取ってありますね」っていう話を、㈶大阪城ホールの案内してくれた人に言ったら、20年前に大阪城ホールを設計した方が、いずれひょっとすると劇場になるかもしれないから、という事でわざわざ柱を2列取っていたと。取ってくれていたと。なお且つ、「ちょっと上を見てください」って言うんで上を見ましたら、梁が、普通の倍ぐらいなんです。完全に、設計した方は、そこが空間として他に転用出来るかもしれないっていう可能性を残して、20年間眠っていたと、説明を受けました。ちょうど、扇町ミュージアムスクエアに、南河内万歳一座も入っていましたし、他に、劇団☆新感線も入っていたり、そこを使って公演するだけじゃなくて、稽古場、それから道具製作、あるいは大道具を置いたりして、倉庫機能が扇町ミュージアムスクエアにはありました。それを、全部飲み込んでしまうぐらいの大容量の空間がそこに眠っていました。で、僕は早速、岩崎君(DIVE理事長:岩崎正裕氏)に、見に来て貰いましたし、それから、もちろん、内藤にも見に行って貰いました。
その中で、内藤は見た瞬間、「とにかく凄い」と、「これは是非自分に任せて欲しい」と、「自分達が、色んな人達にまた声をかけて、もし出来るならば、まず倉庫を、それから公演する場所としてできたら素晴らしいし、そういうのを自分が中心となってやりたい」となりました。それで、非常にいい話だなあと思ってすぐに、㈶大阪城ホールの担当の方にも、そういう話があるんだけれどもっていう話をしました。㈶大阪城ホールも、眠っている空間・倉庫だし、有効利用出来ないかと考え始めていきました。先ほどから内藤は再三言っていますけれど、自分達が勝手に入り込んで、勝手に占有した訳じゃなくて、やっぱり扉が開けられたから、こちらは入れたっていう事があります。それ無しにはこの期間も出来ませんし、㈶大阪城ホール側も、理事という方々が代わっていっているとは思うので、その中でどんな経緯があり、現在に至ったかってのは内部の問題であるので、詳しい事は分りませんけど、結果的に言うと、最初に扉を開いた目的、或いは意味合いっていうのが、だんだん変わって行ったのではないかと。
ただ、現実として、事実として、あの空間が持っている可能性っていうのは未だに、ある訳で、特にその後、維新派なんかも使ったり、それから道具を製作したり、たぶん維新派にとってはあのくらいの空間が無ければ、道具の製作もしにくいだろうし、非常に大きな作品を作っているところ、集団ですから、他に、なかなか大阪市内には有り得ないような空間であり、そういう可能性を持ったものを、また新しく探そうと思っても、不可能に近いんじゃないか。
先日10月5日に、立ち会って欲しいって事で会議に出席ました。その会議は、正直言って、硬直した会議だったと思います。それまで、何年か、或いは何回かに渡って色々な事を話し合ってきたと思いますけれども、そこは、経過を見て無いんですけど、先ほど話があったように、ちゃんとまともにきちっとこう話が出来る、お互いに、どうしようか、これまでの事、今後の事も踏まえて、それでちゃんと話をして、何とか解決する道を探ろうっていう会議では無くて、いわゆる結論有りきで、非常に硬直した会議です。僕はもう、立ち会った時はもうそんな感じでしたので。
経過としては、最初の始まった時代は、皆さんご存知の通りで、色んな場所を皆探したし、不安な事情も「今後どうなるんだろう」っていうような時代に、ある意味では、言い方変えるならば、㈶大阪城ホールが好意を持ってですね、それを受け入れてくれたと。初めは、僕達にとっても、少し未来は広がるかなあと、たくさんの劇団もそこで、倉庫に使えたり、それから公演、その中では、内藤自身が本当に闘いもして、色んなハードルがあったりして。本当にそれをクリアしてあの空間を獲得したと。簡単ではなかったと思うんで。
で、㈶大阪城ホール側も、1,000万円ていうのは大変な金額ですから、開口部を開けるのに、それを投じた。これは並大抵の決意ではなかったと僕は思うんですけども、結果的には、当時の理事会なのか何か分りませんけれども、決定したっていう事で、現在それにも答えて貰えないって、こんな状態になったのは、非常に、最初に、あのドアをノックした僕としては残念だなあという、そういう思いです。


内藤:
ちょっと正確にして欲しいんですけど、空間見てね、僕、最初に、「ええっ、ここ使っていいの?俺なんかが?」って聞いたら、「いやもう、南河内万歳一座がここを担当してくれるのならば、㈶大阪城(ホール)としては御の字だ」っていう、話があって、結局、そこを見に来てくれってね、あれ、何劇団ぐらい行ったんですか?

松原氏: DIVEで5団体ぐらいかな?

岩崎氏:
DIVEで、実際に見に足を運んだのは、私と、それから、桃園会の当時(DIVE)理事長の深津篤史さん、それから京都の方の代表で鈴江俊郎さん、この3人ですね。DIVEの今の理事にも確認しましたけれど、個別に声をかけられたという人は、その時点ではいませんから、我々が代表権を持って見に行き、入口のところで㈶大阪城ホールの方の名刺も貰い、引き継いで頂いたという記憶があります。

内藤:
その時に、「使えねえかな、うまく」って言われたから、言われて行っていた訳で。「見て」って言われて「見ましたよ」っていう訳じゃなくて、結局これ、何かに使えないかなっていう意図の下に来てくれって言われたからね。㈶大阪城ホールの方も、そこで、アリーナの方では出来ないような、ライヴやコンサートみたいなものをね、小規模なものも催したい意向があるので、一緒に出来ればありがたいなという事で、向こうも使用する目的があったでしょ、当時。

松原氏:
眠っていた訳ですよ、ほとんど使われてなくて、倉庫といってもほとんど、その、ガラクタを置いたりとか、なんかの時に、ちょっと、突っ込んだりするぐらいのものだったと思うんで。

内藤 :
㈶大阪城ホール自体もあそこを劇場使用したいという意向があったんですよね、意向はね。事業部決定していたかどうかは知らないけど。

松原氏:
劇場かどうかは分らないけど、有効に何か使いたいっていう思いは、運営しているところはどこでもそうなんだけど、それは考えると思う。

内藤:
助成したいっていう気持ちがあった訳でしょ。

松原氏:
そう、それで支援っていうかね、で、その当時担当だった人も、南河内万歳一座が既に実績を持った劇団であるっていう事は認知されていたし、内藤は、賞も取ったりしているので、変なとこじゃないと。だから一緒にやって貰ったら、非常に南河内万歳一座がやるって事も、プラスになるんでは無いか、っていう、上に対しても説得出来るんでは無いかっていう、ところがあった。

内藤:それで、結局、こうなった背景。
最初は順調に行ってたんです。で、西倉庫を初めて見せて頂いて、年度替わって4月から実際に使用しましょうっていう話で進んでいまして、マスコミにも発表するその3月直前になりまして、(大阪城ホールが)登録の確認を行ったところ、西倉庫が、(大阪市)公園局の物件であると、いう事が明らかになりまして、㈶大阪城ホールの管轄は、アリーナのみ、大阪城ホールの中にある倉庫空間は、及び事務所空間は、全て(大阪市)公園局の公開用地という、公園と同じ登録になっていることがわかりました。ですから、大阪城ホールが勝手に使える物件ではなかった。これはマズいと、ちょっと待ってくれっていう話になって、そこから、ゆとりとみどり文化振興局と公園局、そして都市協会、それから㈶大阪城ホールとが膝をつき合わせて会議した結果、何とか劇団助成にのみ、大阪城ホール内の西倉庫を使ってもよろしいという許可が、(大阪市)公園局から出たという事です。その時点で、倉庫管理とか、仮設劇場の時の消防の申請とか、面倒臭い色んな事を㈶大阪城ホールは担当しなければならないけれども、その反面、自分達が使いたいライヴとか、自分達の利用に関しては、それは劇団助成とは違いますって、使えなくなってしまった。そこから、だんだんと㈶大阪城ホールの方が僕らを煙たがって来たという歴史はあるんです。
それを、何とか一緒に始めた事業ですし、約束して始めたんだから、そんな事言わずに一緒にやりましょうよと何とかこういう状況だから協力して下さいっていう事を説得しました。そしてとりあえず、初めの経緯、一緒にやろうっていう経緯があったから、1,000万円の予算化までして、客席通路を作ったりとかして、色々して下さったんです。
しかし、新しい理事長が来て、新しい常務理事が来てからは、「そんな事、全然経緯を知らないんだけども、私達は」と言い出して、結果的にそういう事実も書面も人物もいないっていう話に、段々と塗り替えてしまいました。
だから、この公開質問状を出して、ちゃんと正式にどういう認識かお答え下さいと、申しておる訳です。この辺は、㈶大阪城ホールさんの方にも聞いて頂きたいです。
この辺で、岩崎君に聞きたいんだけど、感覚としては、「ここで何かやりませんか」と、誘致を受けたという感覚はある訳?

岩崎氏:ありましたねえ。

内藤:あった?

岩崎氏:ありました。はい。

内藤:
多くの劇団が、東京の劇団も見に行っています。とりあえず何か出来ないかなあと、協力を要請されて、呼びかけられたと。その時に、自分達がやる為には、協力する為には、それなりにリスクを背負わなきゃいけないから。大阪の当時の状況がそんなに良い状況じゃなかったから、リスクを背負ってまで、その意向と一緒に、㈶大阪城ホールの意向と一緒に協力して行こうと、出来る財力があるとか、状況にある劇団が少なかったからね。すぐに「やります!」って言わなかっただけの話で、皆ね。状況があれば皆やりたかったと思いますよ。
僕らは、18年間に渡り、扇町ミュージアムスクエアを劇場にするのに協力してきましたし、大阪ガスの職員の方が非常に熱心にやられたという事の下に、僕らと劇団☆新感線がそこにいまして、皆も凄く協力してくれて、まあ当時メセナ大賞も取りましてですね、どこの都市行っても、「大阪は扇町ミュージアムスクエアみたいな施設があっていいねぇ」と、羨ましがられるような施設を作りました。そういうのが、民間の企業ですから、半公共といえども、社長の意向で、18年間での閉鎖は残念でしたけれども、また新しく色んなものを獲得するために頑張らないと大阪はダメになっちゃうなあという事で、その時に㈶大阪城ホールの方からそういう話があれば、僕らで良ければ協力しますと、そりゃ言いますよ。
けれども、結局7年目にして、こういう乱暴な形になるっていうのは本当に失礼極まりないと、心外だなあと、思っております。
そこでですね、僕は、大きな用件として、3つ訴えたい事がございます。

まず1つは、このままでありますと、僕たちが大阪城ホールの西倉庫を、演劇活用及び有効利用する為に入った経緯が、㈶大阪城ホールから反故にされます。まるで無理矢理入って居座っている団体のようになってしまう。それは、ウルトラマーケットの為に、皆、徹夜も厭わず色んな人が、劇団員や表現者達がですね、関わってくれまして、バイトを休んで手伝いに来て、何とか事業費が一銭もない劇場を、何とか成功させて行こうっていう事で、皆頑張ってくれたのを、そういう人達に申し訳ないですよ。この汚名は!
また、舞台会社も照明会社も、到底そんなお金では借りられないような部材を、安いお金で提供してくれました。そして、各方面から機材や備品をですねぇ、善意の提供を受けて、何とかやってきた次第です。
何よりも、それをこの期間支えてくれたのは大阪の観客の皆さんで、この汚名を着せられたまま、汚名をすすがずに知らん顔している訳にはいかない。協力してくれた観客及び様々な皆さんに申し訳ないので、この汚名をすすぎたい。
それから、この汚名を雪ぐ事によって、僕達のウルトラマーケットと、㈶大阪城ホールの立場を確認した上で、もう一度ちゃんと会議をして下さいと。その上で、来年3月に退去しなければならないという理由があるならば、それは退去します。仕方がないですから。しかしながら、(大阪市)危機管理室の方に漏れ聞くところによりますと、㈶大阪城ホールの方から(大阪市)危機管理室の方に備蓄倉庫として使用許可は(大阪市)危機管理室は受けていない。(大阪市)危機管理室は4万人分の不足している備蓄倉庫を探していて各方面にお願いしていて、㈶大阪城ホールだけにお願いしているんじゃない。そういう意味から、4月1日から備蓄倉庫として運用がすぐに始まらないという風に漏れ聞いております。そんな事を聞きますと、これはまず廃止・退去有りきの決定を、理事会がしたという事ですから、これ、許す訳には行かない。ちゃんと、もう一回審議を差し戻して、ちゃんと会議したい。もし大阪市の法人改革によって民間の株式会社に、これ問題だけど、株式会社になって、新しい組織に委譲する時に全部きれいにして渡すというなら、それは仕方がない、速やかに、どういう風にしめくくって行くか事は、ちゃんと相談するし、あの、好意的に話が出来ると思っているんです。そういう紳士的な会議を一切やられていないので、その会議をやってくれっていうのが2つ目です。
3つ目!3つ目は、僕は非常に今回の乱暴なこの手口というか、悪質だと思います。でっち上げで出て行けって言ってるんですから。事実を反故にして、真実を隠蔽して、でっち上げて捏造した都合のいい論理で、出て行けという事を一方的に言うとる訳ですから、これはちょっともう許せないのね。世界中から素晴らしいアーティストがやってきて作品を発表しているという、世界にも名の知れている「大阪城ホール」の理事会のやる事か。公共文化施設が、こういう事をやってもいいのかと、あまりにも、手続きとして悪質じゃないですかという事を申し上げたい。そして担当、理事会の方々がですね、公共の文化施設に関わっておられるという意識をお持ちなのか。「大阪城ホール」は財団法人ですけどもね、公共ですから、公共文化施設の地域に対する役割というものをどのようにお考えなのかと思います。㈶大阪城ホールは、利潤が大き過ぎて公益法人になれないので、民間の株式会社として法人改革に乗っかる。大阪市が100%持ち株の民間の株式会社になるのか、それとも第3セクター的にいくらか一般企業が関わるのかまだ決定なされておらないとお聞きしましたが、そうなれば民間企業ですから、利潤追求と営利に走るという事で、文化施設という1つの役割を今以上に認識なさらずに金儲けに走る、まあそれは一般企業だから仕方ないですね、民間企業ですから。
しかしながら、大阪城公園の中に建てられ、税金で建てたものですから、ちゃんと、次の民間の組織になるにしても、ある程度公共の役割というものを意識した構想をちゃんと謳っていただかないと、まあ困るなあとは思います。
とりあえず、世界に誇れる大阪の数少ない文化施設の「大阪城ホール」、その理事会がこういうくだらない事をやるというのは本当に許せないという事を訴えたい。僕としてはこの大きな3つですね、汚名をすすぐ、それからもう1回会議していただくと、正式に、そして文化施設の在り方として㈶大阪城ホールの理事会の態度はいかがなものかという事を、ちゃんと広く訴えたい、この3つです、僕が言いたいのは。